こんばんは。なんだか変な噂のヌシのヒツジのKです。今私の職場で、「私に彼女ができた」という噂が流れてて、しかもそれに加えて「その噂は私がある女性を諦めさせるためについた嘘だ」というおまけまでセットになってるようです。なんでこんな噂が流れてるんでしょうね。誰が流したんでしょうね。もちろん、流したのは私じゃないですよ。確かに「いい加減に私のことは諦めてくれ!」って思ってるような相手はいるんですが、あの人はそんな面倒な手段で諦めるような人じゃないですから、こんな噂を流すことは無意味なのです。
っていうか、無意味じゃなくて迷惑なのです。こんな噂が流れてるせいで、あらぬ疑いをかけられている人がいたりとかするんです。もちろん、↑のあの人が色々と探っているのが原因なのですが。あの人もねぇ・・・相手が誰なのかを知りたいのなら、直接私に聞けばいいのに。そしたら、噂の真相とかもちゃんと教えてあげるし。教えられる範囲で、のことですが。無関係な人に対して無差別に迷惑をかけている自分の行動を客観的にとらえられないのでしょうか?そういうところも、「あなたとはつきあえない」という理由なんですけどねえ。
あー、なんか愚痴だけで終わりそうですね。なんか別のこと。
左メニューのリンクでご紹介した?さんやこうもりさんのブログを見てて、自分とは音楽に対する姿勢っていうのが違うなーって思うんです。最近になってそれを強く感じだしたんですけどね。彼らが音楽を鑑賞するときには、なんていうか、「分析」と「理解」のようなスタンスがあるように感じるのですね。その上でアーティストや作曲家などに対する好みなどが存在してて。この「分析」と「理解」については、程度の差こそあれ、基本的にはほとんどの人が自然に行っていることなのだと思います。で、私のスタンスはというと、「分析」とか「理解」も多少はあるのですが、その音楽を「吸収できるかどうか」という判断が大きい。いや、「吸収」っていうほどのレベルじゃないかな。せいぜいが「模倣」止まりだと思う。
私が小さいころから叩きこまれた音楽は「合唱」でした。その頃にだってすでにアイドルとか歌手とかだっていたはずなんですが、私の知ってる音楽は「合唱」と、せいぜいがNHKのみんなのうた程度。そんな環境だったので、ポップスとかロックとか、世の中にはああいった魅力的な種類の音楽があることを知った時、必死に背伸びして彼らみたいになりたくて・・・「模倣」っていうものの動機は、きっとそういうことなんだろうと、今になって思います。私が好きになる曲はたいていの場合が「歌えそうな曲」で、そうでない曲は「歌えそうにない曲」だったりして、洋楽なんかにはいまいち食指が伸びないのはそのせいなんじゃないかなーと思います。外国語は難しいですしね。多少意味がわかる程度の英語の曲を、歌詞だけ覚えて歌うことはできます。けど、なんか心がこもらないっていうか、そんな感じがするんです。
まあ、今現在の私の状況で、歌が歌えたからといって何かが好転するわけでもなく。それは単なる自己満足にしか過ぎないというのはわかりきったことなんですけどね。声が変わって、もうあの頃の歌は歌えないし。ポップスとかロックを歌ってる人は格好良く見えるけど、正直言って、私自身はそういうジャンルの音楽を歌うのはあまり得意じゃないし。まあ多分、音楽をジャンルで区分けして「あれがいい」「これはダメ」なんて言ってるうちは未熟なんでしょうね。あらゆるものを自身の内に取りこみ、消化して、解放する。そういった「ほとばしり」こそが音楽なんじゃないでしょうか?そして、それが私には足りてないものなんでしょうね。
合唱を今も続けて・・・すでに合唱ではなく声楽という学問をやってるお友達が何人かいるんですけど、彼らにもそれぞれで音楽に対するスタンスが違うみたいで面白いです。楽譜を忠実に再現することこそが自分の音楽だっていう人もいますし、そんなのは機械にでもできるから、その楽譜を歌う中で自分というものを表現するのが正しいっていう人もいますし。「楽譜を忠実に再現すること」自体がすでに一種の「表現」であるとすれば、結局、この二人が目指しているものというのは同じものということになりますよね?なりませんか?あれ?おかしいな・・・
なんだか結論とかそれ以前に、何かを論じているという気分ですらなくなったのでこのあたりで終わります。
全く関係ないんですが、キャプテン翼のEDテーマの歌詞を「ちょっと荒れ身なエースが通る」と勘違いしていました。つい最近まで。全く意味がわかりませんね。
っていうか、無意味じゃなくて迷惑なのです。こんな噂が流れてるせいで、あらぬ疑いをかけられている人がいたりとかするんです。もちろん、↑のあの人が色々と探っているのが原因なのですが。あの人もねぇ・・・相手が誰なのかを知りたいのなら、直接私に聞けばいいのに。そしたら、噂の真相とかもちゃんと教えてあげるし。教えられる範囲で、のことですが。無関係な人に対して無差別に迷惑をかけている自分の行動を客観的にとらえられないのでしょうか?そういうところも、「あなたとはつきあえない」という理由なんですけどねえ。
あー、なんか愚痴だけで終わりそうですね。なんか別のこと。
左メニューのリンクでご紹介した?さんやこうもりさんのブログを見てて、自分とは音楽に対する姿勢っていうのが違うなーって思うんです。最近になってそれを強く感じだしたんですけどね。彼らが音楽を鑑賞するときには、なんていうか、「分析」と「理解」のようなスタンスがあるように感じるのですね。その上でアーティストや作曲家などに対する好みなどが存在してて。この「分析」と「理解」については、程度の差こそあれ、基本的にはほとんどの人が自然に行っていることなのだと思います。で、私のスタンスはというと、「分析」とか「理解」も多少はあるのですが、その音楽を「吸収できるかどうか」という判断が大きい。いや、「吸収」っていうほどのレベルじゃないかな。せいぜいが「模倣」止まりだと思う。
私が小さいころから叩きこまれた音楽は「合唱」でした。その頃にだってすでにアイドルとか歌手とかだっていたはずなんですが、私の知ってる音楽は「合唱」と、せいぜいがNHKのみんなのうた程度。そんな環境だったので、ポップスとかロックとか、世の中にはああいった魅力的な種類の音楽があることを知った時、必死に背伸びして彼らみたいになりたくて・・・「模倣」っていうものの動機は、きっとそういうことなんだろうと、今になって思います。私が好きになる曲はたいていの場合が「歌えそうな曲」で、そうでない曲は「歌えそうにない曲」だったりして、洋楽なんかにはいまいち食指が伸びないのはそのせいなんじゃないかなーと思います。外国語は難しいですしね。多少意味がわかる程度の英語の曲を、歌詞だけ覚えて歌うことはできます。けど、なんか心がこもらないっていうか、そんな感じがするんです。
まあ、今現在の私の状況で、歌が歌えたからといって何かが好転するわけでもなく。それは単なる自己満足にしか過ぎないというのはわかりきったことなんですけどね。声が変わって、もうあの頃の歌は歌えないし。ポップスとかロックを歌ってる人は格好良く見えるけど、正直言って、私自身はそういうジャンルの音楽を歌うのはあまり得意じゃないし。まあ多分、音楽をジャンルで区分けして「あれがいい」「これはダメ」なんて言ってるうちは未熟なんでしょうね。あらゆるものを自身の内に取りこみ、消化して、解放する。そういった「ほとばしり」こそが音楽なんじゃないでしょうか?そして、それが私には足りてないものなんでしょうね。
合唱を今も続けて・・・すでに合唱ではなく声楽という学問をやってるお友達が何人かいるんですけど、彼らにもそれぞれで音楽に対するスタンスが違うみたいで面白いです。楽譜を忠実に再現することこそが自分の音楽だっていう人もいますし、そんなのは機械にでもできるから、その楽譜を歌う中で自分というものを表現するのが正しいっていう人もいますし。「楽譜を忠実に再現すること」自体がすでに一種の「表現」であるとすれば、結局、この二人が目指しているものというのは同じものということになりますよね?なりませんか?あれ?おかしいな・・・
なんだか結論とかそれ以前に、何かを論じているという気分ですらなくなったのでこのあたりで終わります。
全く関係ないんですが、キャプテン翼のEDテーマの歌詞を「ちょっと荒れ身なエースが通る」と勘違いしていました。つい最近まで。全く意味がわかりませんね。
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