人生に楽だけしかなかったら、逆にそれが苦になるのかもしれないね。
2005年11月4日 日常 こんにちは。二次元ではショタコンですが、三次元ではおじさま萌えなヒツジのKです。昨夜はDiaryNoteが止まってて、日記アップできなかったっちゅーねん。
広島ではウィークデーの15時から水戸黄門の再放送をしているのですが、格さん役の伊吹吾朗が格好良すぎます。声も顔も体格もステキすぎ。格さんラヴ。
あと、中尾彬とか江守徹とかも好きです。この二人が共演しているこんぶつゆのCMはおいしすぎます。どっちが攻めでどっちが受けなのかに悩みます。ちなみに、江守さんはメガネをはずした時の方が格好良いと思います。
海外の俳優さんでは、ロビン・ウィリアムスとかが良いですね。見た目が格好いいわけではないんですけど、芸の幅は広いし、ジョークもアドリブも面白いし、人間的な魅力があります。10歳の少年からロボットまで、役を選ばない役者さんってすごいと思います。
ただ、これらの方々には萌えているだけで、決してその先をどうこうとかそういう願望は全くありませんので。いや、ここで否定すると逆に疑われるかもしれないので、言及しない方が正解だったのか?まあいいや。
そういえば私、あまり女性の芸能人とかに興味ないような気がします。ある程度以上の水準を満たしていた場合、誰かと誰かを比べてどっちが美人?みたいな判断がつけられないのです。見た目の区別がつかないわけではなくて、優劣の基準が何がどういった条件なのかとかが分からないのです。だから、見た目が可愛いから好き、みたいな女性芸能人はいないのです。
学生時代に男友達どもが「あの子可愛いよね」とか言ってるのを見て、その基準がわからずに一人苦悩する夜もありまし・・・いや、ありませんでしたね。そういう言葉を言ってる人たちにはその人たちなりのセンスがあって、その感性が満たされるような対象がいるのは、とりあえず幸せなんじゃないでしょうか?みたいな。他人は他人、自分は自分と割りきってたのと、自分のように外見的な魅力も内面的な魅力も無い(と自分で思っている)人間が、人様の魅力についてどうのこうのと口出しする資格は無いと思ってたのとで。今も昔もどこか冷めてたヤツだったんですかね、私は。
あの男どものように「可愛い子を彼女にしたい」っつー願望を抱えた男は、この世に掃いて捨てるほどいると思います。多分、男性100人中99人くらいはそうなんじゃないでしょうか?多分、女性でも恋人の外見にこだわる人がほとんどだと思います。根拠も無く思う思うで話を進めるのも愚かですが・・・子孫を残すという生物の本能の中の「優秀な子孫を残す」という欲求からすれば、魅力的な外見の相手を求めるのは間違ってないですよね。魅力的な容姿の子供が産まれれば、その子がパートナーに恵まれる確率だって上がりますから。恋愛対象に美男美女を求めるというのは、生存本能に基づいた、正しい欲求なのだということです。
けど、そういうのを相手にばかり求めるのって、なんだか違うんじゃないかって思います。そこで、相手に見合うように自分の魅力にも磨きをかけるとか、そういう話でもなくて。
他人の長所や美点だけではなく、むしろ短所に対して自ら能動的に魅力を感じることのできる感性を身につけたりする、そういう手段を取ることとかってムリなんですかね?要するに譲歩とか妥協とか、そんな感じの言葉になっちゃうんでしょう。度が過ぎてしまえば単なる「ゲテモノ好き」と捉えられるかもしれませんが。
見た目だけで人間を判断してるような人たちには、こういうのってわかんないんでしょうかねー。まあ、私がこっちのほうが正しいと思ってるだけで、全ての他人にそういうふうにしろだとか、そんなことはできません。価値観の押し付けっていうのは、良い対人関係を保つためには避けるべき愚行ですからね。だからって、そういった人たちを心の中で見下してる私の方こそが愚か者であるのでしょうけどね…
えーと。結局何が言いたいのかよくわかんねーですが、話が広がりすぎないうちに今日はこのへんでやめときます。
美しいものに出会った時に、素直にそれを美しいと思えるように。一見すると醜悪なだけのものに出会った時に、内に秘められた美しさを見逃さないように。
広島ではウィークデーの15時から水戸黄門の再放送をしているのですが、格さん役の伊吹吾朗が格好良すぎます。声も顔も体格もステキすぎ。格さんラヴ。
あと、中尾彬とか江守徹とかも好きです。この二人が共演しているこんぶつゆのCMはおいしすぎます。どっちが攻めでどっちが受けなのかに悩みます。ちなみに、江守さんはメガネをはずした時の方が格好良いと思います。
海外の俳優さんでは、ロビン・ウィリアムスとかが良いですね。見た目が格好いいわけではないんですけど、芸の幅は広いし、ジョークもアドリブも面白いし、人間的な魅力があります。10歳の少年からロボットまで、役を選ばない役者さんってすごいと思います。
ただ、これらの方々には萌えているだけで、決してその先をどうこうとかそういう願望は全くありませんので。いや、ここで否定すると逆に疑われるかもしれないので、言及しない方が正解だったのか?まあいいや。
そういえば私、あまり女性の芸能人とかに興味ないような気がします。ある程度以上の水準を満たしていた場合、誰かと誰かを比べてどっちが美人?みたいな判断がつけられないのです。見た目の区別がつかないわけではなくて、優劣の基準が何がどういった条件なのかとかが分からないのです。だから、見た目が可愛いから好き、みたいな女性芸能人はいないのです。
学生時代に男友達どもが「あの子可愛いよね」とか言ってるのを見て、その基準がわからずに一人苦悩する夜もありまし・・・いや、ありませんでしたね。そういう言葉を言ってる人たちにはその人たちなりのセンスがあって、その感性が満たされるような対象がいるのは、とりあえず幸せなんじゃないでしょうか?みたいな。他人は他人、自分は自分と割りきってたのと、自分のように外見的な魅力も内面的な魅力も無い(と自分で思っている)人間が、人様の魅力についてどうのこうのと口出しする資格は無いと思ってたのとで。今も昔もどこか冷めてたヤツだったんですかね、私は。
あの男どものように「可愛い子を彼女にしたい」っつー願望を抱えた男は、この世に掃いて捨てるほどいると思います。多分、男性100人中99人くらいはそうなんじゃないでしょうか?多分、女性でも恋人の外見にこだわる人がほとんどだと思います。根拠も無く思う思うで話を進めるのも愚かですが・・・子孫を残すという生物の本能の中の「優秀な子孫を残す」という欲求からすれば、魅力的な外見の相手を求めるのは間違ってないですよね。魅力的な容姿の子供が産まれれば、その子がパートナーに恵まれる確率だって上がりますから。恋愛対象に美男美女を求めるというのは、生存本能に基づいた、正しい欲求なのだということです。
けど、そういうのを相手にばかり求めるのって、なんだか違うんじゃないかって思います。そこで、相手に見合うように自分の魅力にも磨きをかけるとか、そういう話でもなくて。
他人の長所や美点だけではなく、むしろ短所に対して自ら能動的に魅力を感じることのできる感性を身につけたりする、そういう手段を取ることとかってムリなんですかね?要するに譲歩とか妥協とか、そんな感じの言葉になっちゃうんでしょう。度が過ぎてしまえば単なる「ゲテモノ好き」と捉えられるかもしれませんが。
見た目だけで人間を判断してるような人たちには、こういうのってわかんないんでしょうかねー。まあ、私がこっちのほうが正しいと思ってるだけで、全ての他人にそういうふうにしろだとか、そんなことはできません。価値観の押し付けっていうのは、良い対人関係を保つためには避けるべき愚行ですからね。だからって、そういった人たちを心の中で見下してる私の方こそが愚か者であるのでしょうけどね…
えーと。結局何が言いたいのかよくわかんねーですが、話が広がりすぎないうちに今日はこのへんでやめときます。
美しいものに出会った時に、素直にそれを美しいと思えるように。一見すると醜悪なだけのものに出会った時に、内に秘められた美しさを見逃さないように。
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