こんばんは。ヒツジのKです。ネタ切れです。
 なぜ毎回冒頭が「あいさつ→自己紹介」なのかというと、その方が読者のみなさまの記憶に残りやすいからです。最低限でも「ヒツジのK」だけ覚えてもらえれば、ここのURLを忘れてもYa●oo!なりGoo●leなりで検索して再訪問してもらえるでしょう。その他の検索エンジンでも、おそらく「ヒツジのK」を検索すると、ここがトップに来るはず。
 ただ、こんなセコいことに知恵を使ってるヒマがあったら、もっと実のある文章を書けって感じですよね。すんません。

 なんだか懐かしくなって、お絵かき掲示板をレンタルしてしまいました。気が向いたら描きこみますので、みなさまもどうぞ。↑の[HOME]から飛べます。全然HOMEじゃないですが、あそこしか使えないのでしょうがありません。

 自室のCDラジカセは10年以上使っている年季モノですが、とうとうガタが来たみたいです。低音が基本的に出ておらず、時たま思い出したように復活します。落ち着いて音楽が聞けません。そしてとうとう、音が一秒程度ですが、頻繁に止まるようになりました。その際に、光出力端子からMDに録音したものは音飛びしていないようなので、おそらくは内部のスピーカー関係の配線が接触不良を起こしているものと思われます。リモコンのボタンの反応もおかしいし、本体の方もPOWERボタンの調子が奇妙なので、そろそろ修理に出してみたほうがいいのかもしれません。

 そして、言ってるそばから内容の無い日記。やる気あるのか私は?
 そうだな・・・
 「メキシコに吹く熱風!」という意味の・・・
 「サンタナ」というのはどうかなッ!?

 二度目ましてこんばんは。ジョジョを読むとしばらく頭がトリップしちゃうヒツジのKです。↑のこのセリフは、第二部のシュトロハイムのセリフ。ジョジョ好きな人なら、自分の子供に名前をつける時やペットの名前を考える時、ぜひとも家族会議で使いたいセリフですよね!家族にもジョジョ好きさんがいれば、もっと楽しめるでしょう。


 名前。名前は大切なものです。名前というものが言葉であるという絶対的な条件を持つ以上、コミュニケーションの大半を言葉に依存する我々人間としては、「名付ける」という行為そのものに、ある種の神聖的な何かを感じさせられずにはいられません。


 まず、「命名」というものほど、「存在の証明」の手段として有効なものは他にありません。何だって名前を付けた者勝ちなんです。大したことのない微熱でも、××症候群なんて診断されたとたんに病気になるんです。
 逆に、名前を付けられたら負けです。ここで言う「名前」っていうのは、もちろん「姓名」のことではありません。近い概念で言えば「レッテル」かな。そんな「レッテル貼り」に負けちゃダメなんです。

 かく言う私は、数年前からよく名前を聞くようになった、とある心の病気なのではないかと自身を疑ったことがあります。その病気の症状・・・つまり、精神活動の傾向が、私のそれとよく似ていたのです。一時期、ちょっと悩みました。この病気を抱えて生きていくのは相当辛いだろうなーとか、治すならいくらくらいの金がかかるんだろうとか。自分のことは「ちょっとした変人」くらいの自覚はありましたが、まさか病気だったなんて!というショックが大きかったです。結果的に、私はその病気ではないっていうのわかったんですが、それも「私はこの病気の患者ではない」と思いこむことでその病気の患者さんたちと自分との間に線引きをするという、すごく強引な自己診断であり、自己治療でした。肉体的な病気ではまず不可能な手段です。
 私とは逆に、この病気の名前を知ってしまったせいで、自分もそうなのではないかという疑心にかられ、本当にその病気になってしまった人も存在しそうです。あたかも、「二重人格」という言葉の誕生と共に、二重人格症状の患者さんが全世界に爆発的に広まっていった時のように。ちなみに、この病気も二重人格症状も、患者が爆発的に増えた国はどれも、一般的に先進国と呼ばれる国々だったそうですよ。情報の伝達と共に発症する病気・・・ではなく、症状に名前がついたために、「自分にもこの症状がある」と自覚してしまった人たちが出てきただけなんでしょう。

 このように、一般に心の病気とされているものの中には「思いこみの病気」というものが溢れているような気がしてなりません。その病気だと自覚してしまえばそうなのでしょうし、その病気を知らなければ、一生その精神状態を「普通」だと認識して過ごせるかもしれません。故人曰く、病は気より生ず・・・ってな感じで、気の持ちようで治る心の病気はたくさんあります。
 とは言え、私には彼らの味わっている精神的な苦痛がいかようなものなのか、経験もなければ想像すらできません。いくら心が強かろうが、罹患してしまえばそこでアウト、という感じなのかもしれません。無責任に経験談を語って立ち直りを期待するのもまた意地の悪いことでしょう。

 私は医者ではないので、ほっとくしかありません。